|
6/16 出発 今回も徹夜の準備になってしまった。前日6/15は準備以外の事で終日忙しかったがやる事はちゃんとやった。朝5時過ぎに家を出る。駅まで徒歩15分のところでドシャ降りの雨に降られ、着ているもの、持ち物等みんな濡れてしまった。これが最初のトラブル。用事で東中野に寄るがここでも雨に打たれる。成田12:05分発エールフランス便にてパリ経由ウィーンへ。ワールドカップサッカー観戦の乗客多い。前回ほど苦痛を感じずパリ、シャルル・ド・ゴールへ。ここはウィーンと違い入出国手続きが必要だった。ここで第二のトラブル。Tシャツの上から透けて見えるお守りを見せろと言われる。このお守り普通のものと違い大切なものだ。ご利益も普通のものと違う
(と思われるケース過去多々あり)。触られるのは困る。しかし言葉が通じず係員に無造作に取られ手荷物の中へほうりこまれX線にかけられてしまった。実に嫌な気持ちになってしまった。パリでは暴動のため検査が厳しかった。ボク以外でも多くの人が引っかかっていた。乗り換えてウィーン到着。第3のトラブル。ボクの荷物が出てこない。窓口で用紙に記入する。「後日ホテルへ届けます」
また嫌な感じ。前回の件を思い出す。「ホントに届けてくれるのかよ」
10時近くになっていた。鉄道に乗ろうとするが切符の買い方が分からずタクシーでホテルへ向かい高速を飛ばす。少し明るかった空がどんどん暗くなっていく。ここまで何かと多難な道のりだったがこの先どうなることやら。郊外から町へ。ホテルに着いた。ドライバーは日本へ行った事あると言う。“トリタニ” と言うところへ行ったそうだがボクはどこか分からなかった。ホテルで先程のお守りの件で日本へ電話した。誰かに触られたり落としてしまった場合お清めというのが必要になる。「やむをえないので日本に帰ってきてからにしましょう」
との事だった。 6/17 ウィーン 朝、起床 (何時か忘れた。早かった)。「今日は忙しいぞ」 と気合を入れる。朝食はしっかりとってスタミナをつけ、必要なものだけ持って町へ繰り出す。30〜40分歩いてウィーンミッテ駅へ。ここで24Hフリーパスを買う。路面電車でオペラ座前まで行き、ケルントナー通りを歩いてアウトドアショップを探す。ガス缶だ。しかしここは高級品等を扱う店が多く、ボクのような貧乏旅行者はお呼びでないといった顔つきならぬ店つきで並んでいる。「あっ!」 と思って見上げると聖シュテファン大聖堂。初めてみるゴシック様式の巨大な建物だ。左へ曲がりグラーペンという通りを行きまた左に曲がって王宮を突っ切って再びリンクへ。リンクに沿ってヴォティーフ教会まで歩く。ボクはこういうぶらぶら歩きが大好きだ。見知らぬ土地だと楽しさは倍増する。しかし要注意、日本とは違う。スリ、かっぱらいがいるかも知れない。ヴォティーフ教会から路面電車で再びオペラ座前まで。お目当てのガス缶はまだ見つからない。言葉をろくに喋れない人間が外国を旅する場合事前の下調べもそうだが勘の良さみたいなものが必要になる。電車一本乗るにも不安はある。このあたりからその勘が冴えてきているようだった。昨日の様々な “イジメ” は、まさしく、“お清め” だったのかも知れない。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| ウィーン西駅へ行ってみることにした。ありそうな気がした。カールスプラッツ駅の地下道はスリ、盗難多発地点だった。日本人一人歩きは恰好の標的だ。変な奴がボクの死角へ死角へと回りこんでくる。バッと睨み付けて追い払う。U4という地下鉄に乗りU3に乗り換えてウィーン西駅に着いた。さて・・ 大きなザックを背負っているアルピニストとかハイカーが何人かいて、そのうち一人に聞いてみた。「近くにアウトドアショップはありますか?」
「ごめんね、分かんないよ」
と帰ってきた。少ししたらこの人ボクの方へ戻って来て
「あそこで聞いてごらんよ」
と言った。観光案内所があった。礼を言ってそこでまた聞く。「ここを表に出てまっすぐ行って左に曲がって・・ どうたらこうたら・・ なんとかスポーツがあります・・ 」
と言われた。意味は半分くらいしか分からないがとりあえず左に曲がったところでまた聞いた。日本で秋葉原あたりにいそうなオタクっぽい若者(に見えた)だった。「ここから路面電車で一駅乗って・・ うんたらかんたら・・ 」
その通りにする。路面電車を降り車中の若者に手を上げてお礼したら
「こっちだこっちだ」
と指さしている。あった!
なんとかスポーツ!
このミスターおたく、いいやつだなと思った。ここの4階は登山用品のフロアだ。それほど大きくないがいい感じの店だ。アルプス登山の本格的な道具も売っている。つい目移りするが目的のモノを探す。あった!
いくつ買うか難しい。余った場合日本へ持ち帰れないからだ。自宅で一缶で何日もつか試して来た。小さいサイズと大きいサイズ一つずつ買った。ガス缶を見つけられたことは大きい。これでうまいご飯が食べられる。今後の展開、希望がもてるような気がしてきた。
店を出てカメラの小物をさがす。また気の良さそうな若者に聞く。「僕についてきなよ」 若者、何か話しかけてくるが 「申し訳ない、英語下手なので・・ 」 と言うしかなかった。それでも気を悪くはしない。10分位歩いてカメラ屋さんに着いた。頭を下げてお礼したら若者握手を求めてきたのでがっちり握手して別れた。こいつもいい奴だった。 ここからU3、U4を乗り継ぎシェーンブルン宮殿へ。3時位になっていた。中へ入りぐるっとひと通り見た。外国人のツアー客が多かった。庭も見て一旦ウィーンミッテ駅まで戻り窓口でザルツブルクからチューリヒまでの簡易寝台車の切符を買う。オーストリアレイルパスとスイスカードは持っている事、日にち、等級、希望の段数など言葉で言う自信がなかったので紙に作文を書いてきた。窓口の人はその文を指で追って頷いている。うまくいったようだ。その切符は3000円位で買えた。一旦ホテルへ戻る。町歩きに夢中ですっかり忘れていたが昨日空港で出てこなかった荷物が届いていた。こいつは嬉しい。さらに希望的な気持ちになっていく。 再び町へ。朝ホテルには日本人がたくさんいたが外に出るとほとんど会わない。路面電車とU4でハイリゲンシュタットへ。ここはベートーヴェンが遺書を書いた家とかエロイカハウス等があり、どれか一つは見たかったが行き方がややこしいので途中から引き返した。ここでバスを無賃乗車してしまった。悪気はなかったがどうやって払えばいいか分からなかった。すいませ〜ん・・ U4とU6に乗りドナウ川を見に行った。橋を歩いて渡った。美しく青くはない。多摩川といい勝負か。水量が多くて速い。氷河の氷が解けて流れているのかも知れない。国鉄とU4と路面電車でホテルに戻った。午後9時を過ぎていてくたくたに疲れてしまったが、充実した。よくこんなに回れたと思った。 |
|
![]() |
![]() |
|
![]() |
|
この町は建築の都とか音楽の都、ハプスブルク家の栄華の象徴などといわれているが、1日歩いた印象はいかにも中欧だなと。オーストリアは日本と同じ敗戦国だ。永世中立国となっているが占領国の一つソ連が独立を認める際に出した交換条件という意味合いがあったという。その点同じ中立国スイスとは成立ちが違うようだ。冷戦時代から現在まで西と東の掛け橋としての役割を果たし、米ソ首脳会談などもたびたびウィーンで行われてきたという。あるいはこの国自体中立を守る為ソ連、米国等とギリギリの駆引きがあったのかもしれない。抽象的だがそういうような中欧としての雰囲気、空気が感じられた。 |