H24年 9/16  日光白根山



太郎山、女峰山、小真名子山、大真名子山

I氏の足の調子が良くなってきたので9月の3連休は共に日光へ向かうことになった。僕は前々から白根山に登りたいと言っていたが、「2800m以下の山は登るに値しない」 というのが氏の考えで、「んなら1人で行くか」 とぼちぼち計画を立てていた。ところが今回I氏の方から 「白根山」 と言ってきたので嬉しい限りだった。

今年になって中禅寺湖のセシウムの量が増えヒメマスが食べられなくなった。このニュースには少なからずショックを受けた。中禅寺湖は2万年前男体山の爆発で川が堰き止められ出来たとされる自然湖で、山肌に蓄積されたセシウムが徐々に湖に流れ込んだらしく、ダム湖ではないので水を捨ててしまうわけにはいかず、仮にそう出来たとしても東京圏の飲み水がやられてしまうという、どうにもならない困った話である。僕は子供の頃日光と奥多摩の山が大好きだった。この話を聞いてどうしてもまたあの白根山に登ってみたくなった。登らずにはいられなくなってきた。

古い記憶なので前後しているかも知れないが、小学三年の時の初夏、父親と弥陀ヶ池まで登ったのが最初だったと思う。後日 「いいところだから」 と言って母と姉を誘い森林限界を超えたところまで登り、 学校のお絵かきの時間には白根山の絵を描いたくらいだから大変な気に入りようだった。この小三、小四の頃は父親の運転する車で結構あちこち出かけたもので、夏休みに家族旅行で乗鞍岳へ行き、後日北八ツの麦草峠から丸山と高見石、また後日奥秩父の柳沢峠から三窪高原など3年生の時は単なるドライブを含めると8回は出かけたと思う。

4年生の夏、我々父子は麦草峠から天狗岳を目指し、中山まで登ったところで引き返した。夏休みに入ると家族旅行で栂池から白馬大池まで登り、雨に祟られたが一瞬ガスが晴れ白馬の稜線を見ることができた。初めて見るアルプスの稜線はあまりに高く、美しすぎた。8月の真夏に豊富な雪が残っていることが信じられなかった。とてもあそこへ登れるとは思えなかった。登りたいとも思わなかった。ただ仰ぎ見る以外成す術なしといった感じで、今でもそうだがエベレストとかアイガー北壁など遥か彼方の山は全く登ろうという気にはならないが、冬の北岳とか西穂への稜線などちょっとガンバれば手の届きそうな山に異常な執念を燃やすのである。白根山と天狗岳はまさにそういう山だった。9月になって渋の湯から天狗岳を目指しとうとう頂上を極めることが出来、本当に嬉しかった。この勢いで 「白根山も登っちまえ」 となり3度目のトライ、いつも父は 「そろそろ引き返そうか」 と言い、ぼくは 「いや、もっと行く」 と言っていたが頂上まであと100m位のところで 「ゴロッ」 と鳴って 「ヤバイ!」 となり引き返していった。

 


五色沼

前白根山より白根隠山


前白根山より白根山2578mと五色沼


五色沼

9/16白根山へ行くと決まってからはもうワクワクする気持ちを抑え切れずにいた。遠足を前にした子供そのものだった。5:10菅沼を出発、37年ぶりに弥陀ヶ池まで登り 「とうとう来ちゃった」 を連発していた。昔と変わらずきれいな水を湛えていたのが嬉しかった。台風が近づいていて天気予報はコロコロ変わっていたが文句なしの青空になった。実はこの白根山も横っ腹にスキー場が出来てしまった山だ。以前友人に誘われこのスキー場に来たことあるが、後で地図を見て唖然とした。標高2000mまでバリカン刈りされ、通年営業のロープウェイが架けられ休日の山頂は人でごった返すようになった。加藤久晴著 「傷だらけの百名山」 によると、自治体にもよるが自然保護に関して行政はキホン、無策であるらしい。ディベロッパーとツルんで私服を肥やさんとする “悪代官” も存在するとのこと。長年にわたり主にボランティアの自然保護団体、地元住民組織等とディベロッパー、悪代官どもで凄まじいバトルが行われ、南アルプススーパー林道や岩菅山、朝日連峰など彼らの活躍で守られてきた山は多く、その功績は計り知れない。日本の山岳景観はタダで残っているのではないのだ。

少し遠回りだったが堰止湖の五色沼を経由し前白根山に登った。ここから見る白根山は最高に素晴らしく、天気にも恵まれ、白根山は傷つきながらも精一杯の笑顔で僕らを迎えてくれているような気がした。ロープウェイが出来たとはいえこの山の本質的な魅力は変わっていないのだと思う。山頂付近は人が多く雨も降ってきたが、ついに登ることが出来本当に嬉しかった。


白根山頂

 

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